本当の幸福

幸福とは、何でしょう? よく言われるのは、心地よい感覚や、幸 運、ゆるぎない心の状態といったものです。
人は誰しも成しとげたい目標があるもので、その成果が得ら れると幸せを感じるのです。
心理学者によれば幸福とは、継続する楽しみ、満足、気前のよ さ、喜び、自分自身や人生への満足、運命に祝福されていると いう信念、そのようなものから生まれると言われています。

幸福の種類

まずは幸福を3つのカテゴリーに分類してみましょう。

  • 第1の幸福:

    これは、まやかしの幸福、ほんのわずかな 幸せ、一時的な高揚、瞬間的な高ぶりのことです。多くの人は お酒に酔うことを幸福であると考えています。人生の問題を忘 れるために、お酒や薬を楽しむのです。私たちは人生の問題 を忘れることが幸福なのである、と考えがちですが、お酒や薬 の乱用は、ほんの一時で消えてしまう幸せや幻覚によって、人 をみじめに追い込んでゆきます。その状況は、より多くのお酒 や薬を求めるように人を駆りたて、やがては中毒症状による 疾患を背負いこませてしまうのです。

  • 第2の幸福:

    目標を達成することで得られる幸福。まや かしの幸福のような害はないものの、同じように短期間で消 えてしまう幸福です。苦労して目標に進んでゆき、ついにそれ を達成すると、人はふと考えるものです。さて、次は何をする のだろう? クライマックスの果てに感じるむなしさと、すぐに 消えてしまう瞬間的な幸福には、まやかしの幸福に通じるも のがあります。

  • 第3の幸福:

    本当の幸せ。喜び、悲しみ、成功、貧困、病め る時、すこやかな時、目標が達成できた時、目標が達成でない 時。どのような状況にあろうと私たちの内にとどまり続ける幸 福こそが、本当の幸福なのであり、これこそが信仰によって結 ばれる幸福なのです。

あなたは本当に幸せになりたいですか?

こんな質問をすると不思議に思われてしまうかもしれませ ん。答えは明らかなのですから。
誰もがこの質問には、うなずいて下さるのではないかと思い ます。では、どうすれば幸福になることができるのでしょうか? 人は誰しも自分なりの意見を持ってるものです。幸福はお金 を稼ぐことだと信じている人もいれば、権力だと考える人もい ます。友達の数や、他人への影響力だと考える人もいます。し かし、もし目標に向けて努力してきた人に、実際に幸福を得る ことができたかどうかを聞いてみると、多くの場合、まだであ るという答えが返ってきます。理由は簡単で、本当の幸福は終 わることのない祝福と安らぎの中にしかないからです。アラブ のことわざに『ベッドを買うことはできても、眠りを買うことは できない』とあるように、山ほどの金塊を持っていても本当の 幸福を経験することはできません。

不合理なものや理性的でないものを信じているがために、私 たちは本当の幸福から遠ざかってしまうことがあります。
私たちを不幸にする心のむなしさを取り除くために、価値あ る目標を見定めて、成長を促してくれる真実を受け入れる必 要があります。

幸せになることは誰にでもできる簡単なことですが、どの道が 正しい道であるのかを考えてみる必要があります。心の底か ら幸福を求めているならば、努力してそれを追求してみるべ きです。本当の幸福はイスラームを受け入れること、つまり創 造主に従うことによってのみ手に入れることができます。この ような発言は疑わしく思われるかも知れませんが、真実なの です。イスラームを心の底から受け入れ、クルアーンとスンナ の教え(注1)を実践することで、人は本当の幸福を経験する ことができるのです。

「どうして?」と思われる人もいらっしゃるでしょうが、それに お答えする前にもう一度、幸福の定義を見てみましょう。心理 学者は幸福というものを、継続する楽しみ、満足、気前の良さ や喜び、自分自身や人生、運命への満足から得られるもので ある、と定義しています。この全てをイスラームは与えてくれま す。
全能の神はおっしゃりました。『本当に服従する男(ムスリム)たちと服従する女たち、 信仰する男たちと信仰する女たち、従順な男たちと従順な 女たち、(言動において)正直な男たちと正直な女たち、忍 耐する男たちと忍耐する女たち、恭順な男たちと恭順な女 たち、よく施す男たちとよく施す女たち、(義務、任意を問わ ず)サウム(断食)する男たちとサウムする女たち、自らの陰 部を(禁じられた物事から)守る男たちと(それを)守る女た ち、アッラーをよく唱念する者たちと、(かれをよく)唱念する 女たち、アッラーは彼らのために、おゆるしと偉大な褒美を ご用意された。』
(33:35)

人生における満足も、全能の神に保証されています。 『(ムハンマドの共同体よ、)あなた方はもとより、人類へ遣 わされた最良の共同体なのだ。あなた方は善事を命じて悪 事を禁じ、アッラーを信仰する。もし啓典の民が(イスラーム を)信じたなら、(それが)彼らにとって、より善いことだったの だ。彼らの内には信仰者もいるが、大部分の者は放逸な者た ちである。』
(3:110)

また来世での満足もこのように保証されています。 『本当に、信仰し、正しい行いを行う者たちには、おもてなし としてフィルダウスの楽園(注2)がある。(彼らは)そこに永遠 に留まり、そこから(いかなる別の場所にも)移されることを望 まない。』
(18:107-8)

本質的に、真実の幸福には様々な要素が関係していて、物質 的にも精神的にもバランスのとれた真実を受け入れることが 大切です。ニューエイジ思想やカルト集団といった、人間によ って作られた組織も、イスラームから少なからぬ影響を受け ています。しかし、それらは私たちの問題に長期的な解決を与 えてはくれません。ソビエト連邦が崩壊したことを考えてみて も、現代に君臨する資本主義が破綻しかけていることを考え てみても、これらのシステムが成功しない理由は簡単で、間違 った信条と近視眼的な意見の上に築かれたものであるから なのです。

人間によって作られたシステムは、ある集団を、他の集団の上 に引きたてる傾向があります。個人を集団の上に置くか、集団 を個人の上に置くか。さらに悪いのは、これらのほとんどが精 神的な価値よりも、物質的な価値に重きを置いていることで す。イスラームはその一方で、人間に完璧なバランスを提供し てくれます。高貴なる神はおっしゃりました。 『また同様に、われらはあなた方を最良の共同体とした。(それ は)あなた方が人々に対する証人となり、使徒(ムハンマド)が あなた方の証人となるためである。』
(2:143)

。注 1)(彼に平和と祝福あれ)は教友ア ブドゥッラー・ビン・ウマル(彼にアッラーのお喜びあれ)にお っしゃりました(صلى الله عليه وسلم 預言者ムハンマド 「アブドゥッラーよ、あなたがたて続けに日中は断食をし て、夜には祈り続けていると聞きました」彼は言いました。 「そうです」預言者(彼に平和と祝福あれ)はおっしゃりまし た。「いけません。断食をしたら次の日は休みなさい。夜の 一部に礼拝をしたら眠りなさい。あなたの体にも、目にも、 あなたの妻にも、あなたに対する権利があるのですから」
(ブハーリーによる伝承)

物質主義者は精神的な価値を軽視して、人生を様々な欲求 を満たすためのものに過ぎないと考えがちです。宗教を手 放した西洋人にとっては、当然のことなのかも知れません。 しかし、果たしてそのような考えは人を幸せ にするのでしょうか?そうではない、と考える 人も多いのではないかと思います。もし物質 的な快楽が幸福への鍵だとすれば、著名人 や富裕層が自殺することなどあり得ないはず ですが、現実は違います。そして極めて貧し い境遇にありながらも、ゆるぎない幸福と満 足のもとに暮らす人々が、この世界には確か にいるのです。



悲しみは、心のむなしさや、精神的な病から生 まれます。それを癒すのに必要なものは、お金 ではなく、全能の神と、神が授けてくださった教えを信じるこ とです。人生に打ちのめされた人々を見れば分かるように、 心の病を放置しておくことが、良い結果につながることはあり ません。

個人レベルにおいても、国家レベルにおいても、世界有数の 富裕国であるスカンジナビア諸国に行けば、満ち足りた生活 が送れるのだろうと思う人もいるかも知れませんが、そこは最 も自殺者の多い場所でもあります。一方のムスリム国家は、一 般的には後進国であると思われがちですが、自殺者は一ヶ月 に一人いるか、いないかという驚くべき低さなのです。

F. フィルウィース(注1)はこう言っています。
『西洋社会 は、幸福をもたらす信念や、信仰といった、精神性の欠如にお びえているのです。経済的成功による豊かさにも関わらず、 物質的な満足をのぞけば、西洋人は人生における無価値を感 じている、と言わざるを得ません。なぜ生きるのか、どこに行 くのか、それはなぜか。誰も満足のゆく答えを与えてはくれな いのです。その癒しを、彼らが疑うことしか知らない真の宗教 が持っているとは、夢にも思わなかったのです。しかし、ある少 数の人たちがイスラームを受け入れ、その教えのもとに生活 を始めると、一筋の光がもたらされました。今となっては毎日 のように、真実の宗教を受け入れる人たちがいるのです。これ は、ほんの始まりに過ぎません』

心にも身体と同じように栄養が必要です。さもなければ余計 な不安や、不満、不幸に悩まされることになります。唯一の神 を信じ、私たちがよみがえらされた後で、行動の責任を取らな ければならないという真実を信じることで、心は養われてゆく のです。また、人は正しい行動を選択して、悪を退けなければ なりません。全能の神はおっしゃりました。 『信仰し、その心がアッラーの唱念で安らぐ者たち(を、アッラ ーはお導きになるのだ)。アッラーの唱念によってこそ、心は 安らぐのではないか。』
(13:28)

誠実なムスリムたちは、満足感や幸福、祝福といった素晴らし い感覚を、日常的に味わっているものです。学者のイブン・タ イミーヤ(神の祝福あれ)は迫害を受け、追放され、投獄され たのちに、こう言いました。「敵に何ができるというのですか? 私の楽園と果樹園は心のうちにあり、切り離すことなどできな いのです。投獄されても、それは宗教的な避難でしかなく、殺 されれば殉死であり、追放されたって旅行でしかありません」

本当に素晴らしい言葉です。投獄され、不当にあつかわれ てもなお、彼はそう感じていたのです。本当の信仰をもつ 人は、常に幸福なのです。イスラームは、完全なる心の幸せ と、金銭や社会的立場に左右されることのない満足を与え てくれます。本当のムスリムは、病気でも、健康でも、豊かで も、貧しくても、安全にあっても、混乱にあっても、どのような 状況にも満足しているものです。至高なるアッラーは、おっし ゃりました。『(彼らは)災難が降りかかれば、「本当に私たちは、アッラー にこそ属します。そして必ずや私たちは、かれの御もとへと帰 り行くのです」と言う者たち。そのような者たち、彼らの上に は、その主からの賞賛とご慈悲がある。そしてそのような者た ちこそは、正しく導かれた者たちなのである。』
(2:156-157)

神の使徒(彼に平安と祝福あれ)は、おっしゃりました。「本当に驚くべきは信仰者の態度であって、彼にとって全て は最終的に良いこととなるのです。祝福と恵みを受ければ、感 謝してありがたく思い、災難に苦しめば、忍耐することでそれ を良きものにするのです」
(ムスリムによる伝承)

イスラームの教えこそが何よりも確実に心配事を忘れさせ て、あなたを忍耐強くしてくれるでしょう。不満を、満足に変え てしまうのです。

またイスラームは出家したり、現世の楽しみから身を引く ようなことも教えていません。むしろ本当の幸福を獲得する ために、現世的な所有物を有効活用することが求められて います。

権力のある人は誰でもそれを、神の宗教における正義を広 め、神の宗教に従う兄弟姉妹の必要を満たすために使うべき なのです。神はおっしゃりました。『よい執り成しをする者には誰でも、その(ほうびの)分け前 があろう。また、悪い執り成しをする者には誰でも、その(罪 の)取り分があろう。アッラーはもとより、全てのことを看視さ れるお方。』
(4:85)

誰でも財産のある人はそれを神の道において使い、兄弟姉妹 の問題を軽くするために使うように勧められています。神はお っしゃりました。『また、自らの財産の内に、(施しのための)一定の権利があ る者たち。(人々に施しを)要求する者にも、(それを)禁じられ た者に対しても。』
(70:24-5)

預言者(彼に平安と祝福あれ)は所有する資産に何が起きる かを明らかにされています。彼はおっしゃりました。「人は『私の財産、私の財産』といいますが、あなたの財産は 無駄に使ってすり減らせるか、慈善事業に使って自分の来世 のたくわえにするかの、どちらかしかないのです」
(ムスリム)

アッラーの預言者(彼に平安と祝福あれ)こそは全てのムスリ ムたちが熱心に見習うべきお手本なのです。預言者の教友の 一人、アブー・ザッルは言いました。 預言者様(彼に平安と祝 福あれ)はウフドの山へと歩きながらおっしゃりました。『アブ ー・ザッルよ!』私は答えました。『なんでしょう、アッラーの預 言者様』彼はおっしゃりました。『私にウフド山の ような黄金の山があったとしても三日で 配りおえ、手元には借金を返すほどし か残らないでしょう』そして、アッラ ーの預言者(彼に平安と祝福あ れ)はおっしゃりました。『現世で もっとも裕福な者たちは、それ を慈善事業についやす、実に わずかな人々を除いて、復活の 日にもっとも貧しい者となるで しょう』
(ブハーリーの伝承)