幸福を 手にするために

真実の幸福を手に入れるための基盤となる、六つの基本信条 について。

  • 神を信じ、その唯一性を信じること
  • 天使を信じること
  • 全ての啓典を信じること
  • アッラーの使徒たちを信じること
  • 最後の日を信じること
  • 運命を信じること
  • 神を信じ、その唯一性を信じること

    誰であろうとアッラーを信じ、その唯一性を信じる人は幸福 の道へと導かれるでしょう。そのような人の心は満ち足りてお り、純粋な落ち着きのなかで生きることが出来るのです。全能 のアッラーは、おっしゃりました。 『信仰し、その心がアッラーの唱念で安らぐ者たち(を、アッラ ーはお導きになるのだ)。アッラーの唱念によってこそ、心は 安らぐのではないか。』
    (13:28)

    全てを創造され、またそれを支え続けておられる私たちの 創造主。その偉大さが理解できれば、人は謙虚になるもので す。創造主に並ぶことのできるものなど、ありはしません。全能 の神はおっしゃりました。 『アッラーは、かれの外に(真に)崇拝すべきものがなく、永生 するお方、全てを司るお方。まどろみも眠りも、かれを捉える ことはない。諸天にあるものと、大地にあるものは(全て)、か れに属する。かれのお許しなくして、誰がかれの御もとで執り 成すことが出来ようか?かれは、彼ら(全存在)の前にあるもの も、彼らの背後にあるものも、ご存知である。そしてかれのお 望みになることの外、彼らはかれの御知識について、何も把握 することはないのだ。かれの玉座は、諸天と大地に広がり、そ の二つの護持が、かれを疲れさせることもない。そしてかれは 至高のお方、この上なく偉大なお方であられる。』
    (2:255)

    神を信じることは、私たちに真実の幸福を与えてくれます。困 難に直面した時には、それを和らげてくれるように、神に直接 お願いすることができるのですから。神はおっしゃりました。『そして(使徒よ、)わが僕たちが、われについてあなたに尋ね た時には、(われが、こう語っている、と言うのだ。)「本当にわれ は、(あなた方の)近くにある。われに祈れば、われは、祈る者の 祈願に応えよう。ならば、彼らが正しく導かれるように、われ(の 呼びかけ)に応えさせ、われを信仰させるのだ」。』
    (2:186)

    全能の神を信じることができないと、人は不幸を感じ、不安や 苦悩に満ちた人生に取り残されてしまいます。天地の創造主 である神は、全ての人間に、神を信じる心を授けてくださって います。以下の一節にあるように、簡単な推論から神を察する ことはできるものです。『いや、彼らはいかなるものもなしに、創られたというのか? それとも彼らが創造者なのか?』
    (52:35)

    神への信仰は、唯一の創造主のみに固く結びつけておくべき です。神には、他のいかなる共同者も、結びつけてはいけませ ん。神の位に共同者をならべる人の信仰は、無益なのです。全 能の神はおっしゃりました。『本当にアッラーは、かれと共に(何かが)並べられること(ア ラビア語で「シルク」)をお赦しになることはないが、それ以外 のことは、御心に適う者にお赦しになる。アッラーに対してシ ルクを犯す者は誰でも、この上ない罪を確かに捏造している のだ。』
    (4:48)

    他の何かに結びつけて神を崇拝することは、神への敬意を損ね ることになります。不完全なものはいかなる神性にも値せず、信 仰となればなおのことです。全能の神はおっしゃりました。『そこ(天地)にアッラー以外の神々がいたら、その二つ(天 地)は損なわれてしまったであろう。彼らの言うようなことから (無縁な)、御座の主アッラーに称えあれ。』
    (21:22)



    神を信じることの徳


    • 神を信じることは、あらゆる形の束縛や奴隷状態から私 たちを解放してくれます。運命は神の手にあり、神の意思 のみが、それを変えうるということを深く理解すれば、人 は全ての精神的束縛から解放されて、神のみに従うよう になります。至高の神はおっしゃりました。 『(使徒よ、)言え。「諸天と大地の主は誰か?」言ってやる のだ。「(それは)アッラーである」。言うのだ。「(そのことを 認めている)にも関わらず、一体あなた方はかれを差しお いて、自分自身への益も害も有さない庇護者を設けたと いうのか?」言え。「盲人と見える者は同じか?いや、闇と光 は同じなのか?」いや、彼らはアッラーに、かれの創造と同 様に創造し、それゆえに(それらの創造とアッラーの)創 造が彼らにとって紛らわしくなってしまった同位者を設け (アッラーと共に崇拝し)ているのか?(使徒よ、)言うがよ い。「アッラーは全てのものの創造主であり、かれは唯一 のお方、君臨し給うお方である」。』
      (13:16)
    • 全ての個人は、神のみを怖れ、かしこまるべきです。神以 外のものを怖れることは、人をみじめにします。心にある 恐怖を、悪魔に揺さぶられるからです。アッラーはおっし ゃりました。
      この世界にある全てのものが神を必要としても、至高なる神 が、ご自身で創造なさったものを頼ったり、必要とすることは あり得ません。全能の神はおっしゃりました。 『アッラーは御子など設けてはおられないし、かれと共にあ る神なども一切ない。(もし)そうならば、きっと全ての神は自 らが創ったものと共に(銘々に)去ってしまい、彼らは互いに 君臨し(ようとし合っ)たであろう。彼らの言うようなことから (無縁な)、アッラーに称えあれ。』
      (23:91)

      『実にあの者は、その盟友に対して(あなた方を)怖け気づ かせるシャイターン(悪魔)なのだ。ならば彼らを怖れず、わ れを怖れよ。もし、あなた方が信仰者であるならば。』
      (3:175)
    • 神を信じると、人は勇敢になるものです。アッラーのご 意志によって私たちは死を迎えます。地球上にいる期間 は、アッラーによって定められているのです。全能の神は おっしゃりました。 『また、定められた期限というアッラーのお許しなくして は、誰も死ぬことがない。そして誰でも現世のほうびを望 む者には、われらがそこから与えよう。また、誰でも来世の ほうびを望む者には、われらがそこから与えよう。われら は感謝する者たちに、(善く)報いるのだ。』
      (3:145)

      信仰を持たない人は、困難な時期に頼るものがないた めに、みじめな気持ちになってしまいます。全能の神の言 葉は、まさに真実であると言えるでしょう。神はおっしゃり ました。 『アッラーが誰かを導くことをお望みになれば、かれはそ の者の胸を服従(イスラーム)へと広げて下さる。また、か れが誰かを迷わせることをお望みになれば、かれはその 者の胸をひどく狭められる。それは、あたかも(上)空に何 とか昇ろうとするようなもの。同様にアッラーは、信仰しな い者たちに穢れをお与えになるのだ。』
      (6:125)

  • 天使を信じること

    天使たちは、目に見えない世界に属する存在です。私たち は、神の使徒たちが啓示によって伝えた内容からのみ、天使 たちについて知ることができます。預言者たちと、使徒たち に、神の言葉を伝えたのも天使で、その役目を果たしたのが 天使ガブリエルでした。至高の神は、おっしゃりました。『信仰する者 い世界に属するもので がその使徒にお下しになった啓典(クルアーン)と、それ以前 す。私たちは、神の使徒 たちが啓示によって伝え にかれがお下しになった(全ての)啓典を信じよ。そしてアッ た内容からのみ、天使た ちについて知ることがで きます。 ラーと諸天使、諸啓典、諸使徒、最後の日を否定する者は誰で も、実に(真理の道から)遥か遠く迷い去っているのだ。』
    (4:136)

  • 全ての啓典を信じること

    これらの啓典には、信仰者たちが人生で成功するための教 えが記されています。その教えを実践することで私たちは、個 人、社会、政治の全てにおける真の安定を経験するのです。神 はおっしゃりました。『男性であれ女性であれ、誰であろうと信仰者で正しい行い を行う者、われらはその者に、必ずやよい暮らしを送らせよ う。そしてわれらは彼らに対し、彼らが行っていた最善のもの で、必ずや彼らのほうびを報いてやるのだ。』
    (16:97)

    良き人生とは、生命の正しい歩みそのものであり、そのような 人生こそが私たちの心に、満足と、本当の幸福を与えてくれる のです。全能の神はおっしゃりました。 『本当に、信仰する者たち、ユダヤ教徒である者たち、サービ ア教徒たち、キリスト教徒たちで、アッラーと最後の日を信じ て正しい行いを行う者、彼らには、怖れもなければ、悲しむこ ともない。』
    (5:69)



    イスラームの教えによる幸福


    イスラームの教えは、敬虔なムスリムたちの教育に絶大なる 影響力を持っています。それはマナー、倫理、考え方に影響を 及ぼし、やがて人は幸福を確立するようになります。イスラー ムの教えこそがムスリムたちを、みじめさから遠ざけているの です。その教えには、アッラーとアッラーの使徒を愛すること に始まる、以下の内容が含まれています。


    • アッラーと、アッラーの使徒を愛すること
      その愛を深めるために、アッラーとその使徒は、信者たちに慈 善活動を勧めました。
      「幸せはお金では買えない」と言いますが、愛や幸福を手に 入れるために、人は山ほどの財産を使うものです。愛や幸福の 価値を聞かれれば、多くの人はこう答えます。愛に値段はつけ られず、幸福には代価を支払うだけの価値があると。そして私 たちが努力して、この人生で到達するべきゴールとは、神への 深い愛を持つことなのです。神はおっしゃりました。 『また、人々の中には、アッラーを差しおいて同位者を設け (て崇拝す)る者たちがいる。彼らはそれらを、あたかもアッ ラーへの愛情のごとく愛する――信仰する者たちのアッラー に対する愛情は、(そのような者たちの愛情)より強烈なのだ が――。それで、もし(そのような)不正を働いた者たちが(来 世の)懲罰を目の当たりにする時、(それを)見るならば、全て の力はアッラーにのみ属し、アッラーは懲罰が厳しいお方で ある(ことを、思い知っただろう)。』
      (2:165)

      預言者の教友たちは、アッラーとその使徒を非常に深く愛し ていました。教友フバイブ・ビン・アディは多神教徒に拷問さ れて、「最後に何か願いはあるか?」と言われた際に、「礼拝を させてください」と言い、それを許されました。彼は、処刑前に 礼拝を捧げた最初の信者でした。
      礼拝を終えると彼は言いました。「アッラーにかけて、死を恐 れているなどと言われる恐れがなければ、私はもっと長く礼拝 をしたでしょう」処刑人たちは聞きました。「預言者ムハンマド がお前の身代わりだったら、そして、お前が家族と無事にいら れたらと思わないか?」彼は答えました。「アッラーにかけて、 私と家族の無事のために、ムハンマド様が危険にさらされる ことなど望みはしません!」



      不幸なのは、アッラーとその使徒への愛よりも自分の欲望を 大切にする人なのです。アッラーはおっしゃります。 『(使徒よ、)言ってやるがいい。「あなた方の親、あなた方の子 供、あなた方の兄弟、あなた方の配偶者、あなた方の近親、あ なた方の稼いだ財産、また、あなた方がその不振を怖れている 商売、あなた方が満足する住まいが、アッラーとその使徒、そし てかれの道における努力奮闘よりもあなた方にとって愛おし いならば、アッラーがそのご命令をもたらされるまで待つがよ い。アッラーは、放逸な民をお導きにはならないのだ」。
      (9:24)

      アッラーとその使徒のために何かを愛するとき、人は喜んで 献身的になるものです。このような愛こそ不滅であり、このよ うな愛によって信仰者はこの上ない幸福を味わうのです。全 能の神はおっしゃりました。『また、彼ら(移住)以前に、その町(マディーナ)に信仰心と共 に居を定めた者たち。彼らは自分たち(のもとに)移住した者 を愛し、彼ら(移住者たち)が与えられたものについて、その胸 中に嫉妬の念を見出さず、(彼らのことを)自分たち自身よりも 優先する。たとえ彼らに、必要性があったとしても、である。自 分自身の貪欲さから守られた者、それらの者たちこそは成功 者なのだ。』
      (59:9)

      預言者(平安と祝福あれ)はおっしゃりました。「3つの特徴を備える人が、信仰の甘さを味わうのです。ア ッラーと、アッラーの預言者のことを全世界の何よりも愛する 人、神のために愛する人、不信仰に戻ることを地獄の炎に投げ 入れられることと同じように嫌う人」
      (ブハーリーによる伝承)

      このような愛を得ることは、自分自身を困難、苦労、復活の日 の試練から救う方法でもあります。預言者(平安と祝福あれ) はおっしゃりました。 「アッラー以外に守ってくれるものが何もなくなる日に、七種類 の人がアッラーの影によって守られるでしょう。正しい統治者、 アッラーを崇拝しながら育った若者、モスクを愛する心をもつ 人、アッラーのために愛しあい、またアッラーのために別れる二 人、裕福な女性に誘惑されても『私はアッラーを怖れます』とい う男性。左手が気づかないうちに右手で密かに寄付をする人、 アッラーのことを思い出して涙する人」
      (ブハーリーによる伝承)

      アッラーを崇拝して、その教えに従うことで、私たちはそれま で支配されていた欲望や、気まぐれから解放されるのです。ア ッラーの教えに従い、禁じられたことを控えることで、欲望を 克服し、悪魔をくじき、本当の幸福を手に入れるのです。イス ラームは私たちの人生や、財産、時間を神の道のために使う ように教えています。イスラームの実践は一時的な努力では なく、人生の道です。アッラーはおっしゃりました。 『言え。「本当に私の礼拝も犠牲も、生も死も、全創造物の主 アッラーのためのみ。』
      (6:162)

      モンゴメリー・ワットは著書

      『イスラ ります。「イスラームに出会うヨーロッパやアメリカの学生にと っての問題は、偏見だけなのです。イスラームを『クルアーン の宗教』であったり、『4億人のムスリムの宗教』などと説明し ても、それは宗教の外側を説明しているにすぎません。西洋に おいて、宗教は何を意味しているのでしょうか。日曜日に一時 間ほど、仕事や日常生活の問題について祈ったり、他人と親身 に接したり、性的な倫理を守ったり、といった具合で、商業や経 済、政治や産業とはほとんど関係がなく、悪い場合には裕福な 者たちの自己満足を助長したり、自惚れを深めている場合も あります。西洋人の中には、宗教を支配者階級が人々を従わ せ、搾取するために発展させた麻薬のようなものであると考 える人もいるのです。ムスリムにとっての宗教は、クルアーンの 一節が示すように、およそかけ離れた意味を持っています。

      『本当にアッラーの御もとにおける(真の)宗教 は、イスラー ム(主の意志に服従、帰依すること)である。』
      (3:19)
      アラビア語で宗教を表す単語、ディーン〔=宗教〕には人生の 道という意味が含まれています。これは個人的な出来事や、人 生のごくわずかな部分だけを扱うのではなく、公私を問わず 人間が考えるべきである基本的な社会構造全体、神学上の教 義、信仰の形、政治論、経営理念、さらには衛生学や礼儀作法 をも含むのです」

      天使たち、預言者たち、神の使徒たちは、みな神に正しく従っ ていました。アッラーはおっしゃりました。 『マスィーフ(イエス・キリスト)は断じて、アッラーの僕であるこ とを尊大にも拒んだりはしない。また、かれのお傍に仕える天使 たちも(同様である)。そして誰であろうと、かれ(アッラー)の崇 拝を尊大にも拒み、思い上がる者は、かれがやがて(その行い に対して報いるべく)かれの御もとに全員、召集し給う。』
      (4:172)

      世界に創造された全てのものはアッラーに従うことで、神の 偉大さを証明しています。アッラーはおっしゃります。 『七層の天と、大地、そこにある(全ての)ものは、かれをこそ 称える。そしてありとあらゆるものは、かれの称賛と共に(かれ を)称えるのだ。しかし(人々よ)、あなた方はそれらの称揚を 理解しない。本当にかれはもとより、寛大なお方、赦し深いお 方である。
      (17:44)

      アッラーに従うことなく背を向ける人は、人生の指針がないた めに不幸になり、本当の幸福を得ることができません。アッラ ーはおっしゃります。 『また、わが教訓に背を向ける者、本当に彼には苦しい生活 がある。そしてわれらは復活の日、彼を盲目にして集めるの だ」。』
      (20:124)

      端的に言えば、人はアッラーに背を向けると、悪魔のささやき に流されることになります。アッラーはおっしゃります。 『慈悲あまねきお方(アッラー)の教訓(クルアーン)に目をつ むる者があれば、われらはその者にシャイターン(悪魔)をあ てがい、彼(悪魔)はその者の相棒となろう。
      (43:36)

      悪魔は人をみじめにする、ということを自ら宣言しています。 『彼(悪魔イブリース)は、申し上げた。「我が主よ、あなたが私 を誤らせられたのですから、私は必ずや地上で、彼ら(人類) に(、あなたへの不服従を)目映くして見せ、彼ら全員を必ず や、(正しい道から)踏み誤らせてみせましょう。
      (15:39)

      アッラーを崇拝することは、並ぶことのない無限の幸福を与 えてくれます。あるムスリムはその幸せをこう表現します。「も し王たちや、その子供たちが私たちの幸せを知ったならば、 剣を持ってそれを勝ち取りにくるだろう」

    • 永遠の幸福の秘訣とは何か?

      私たちを本当の幸せへと導いてくれる行動は、同時に、私た ちを祝福された来世の生活へと導いてくれる行動でもありま す。これこそが常にムスリムを、さらなる善へと努力させる動 機なのです。至高の神は、おっしゃりました。 『また幸福な者たちはといえば、天国の中にある。諸天と大地 が続く限り、永遠にそこに留まる。ただし、あなたの主がお望 みになったことは別だが。(アッラーは)途絶えることのない賜 物(を、彼ら幸福な者たちにお与えになる)。』
      (11:108)

      私たちは大金持ちになることなどを目標にすべきではありま せん。預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃりました。「現世は信仰者にとっての牢獄であり、不信仰者にとっての 楽園である。」
      (アブー・ダーウードによる伝承)

      ひょっとすると、現実には貧困に苦しむ不信仰者がいる一方 で、大金持ちの信仰者がいる場合もあるのではないか?と思 われる方もいるかもしれません。それに対する答えは以下の 物語が明確にしてくれるでしょう。
      エジプトの最高法官であったイブン・ハジャル・アルアスカラ ーニー(彼にアッラーのご慈悲あれ)はユダヤ教徒に呼び止 められて、こう質問されました。「現世は信仰者にとっての牢獄 で、不信仰者にとっては楽園だという預言者(彼に平安と祝福 あれ)の言葉をどのようにお考えでしょう。私はムスリムではあ りませんが貧乏で、あなたはとても裕福なムスリムです」イブ ン・ハジャルは答えました。「貧乏だとしてもなお、あなたは楽 園にいると言えるでしょう。不信仰者のことを来世で待ってい る罰は、究極の苦痛だからです。そして、どんなに美しいローブ を着ていても、アッラーが私をジャンナ(注1)に入れて下さる のであれば、現世で楽しんでいる祝福など無に等しく、天国で の喜びと比べることなど到底できないのですから。」この言葉 を聞いて、貧しい男はイスラームを受け入れました。
      イスラームは信仰者に、現世での生活を過大評価しないよう に教えています。ムスリムは取るに足らないことが明らかなも のを、深く楽しんだりはしません。教友サハル・ビン・サァドが 伝えている、このような預言者(彼に平安と祝福あれ)の伝承 があります。「ズルフライファに預言者様といた時のことでした。死んでむ くんだ羊を見て、彼はおっしゃりました。『この羊の持ち主が、 羊に悩まされているのがわかりますか。私の命がその手にあ るお方にかけて、アッラーにとってこの世界は、羊飼いにと ってのこの羊ほどの価値すらありません。この世界がアッラ ーにとって、ハエの羽ほどでも価値あるものだったならば、不 信仰者には一滴の水すらお与えにならないでしょう』(注1)」
      (イブン・マージャによる伝承)
    • アッラーの使徒たちと預言者たちは、最もアッラーに 愛された人たちであった
      すべての使徒たちと預言者たちは試練と困難にあいました。 ある者は殺され、ある者は故郷から追放され、ある者は迫害 されました。アッラーに愛されていた彼らですら困難にあっ たのですから、私たちにだって困難にあう可能性はあるので す。試練にあった時には、くよくよするべきではありません。む しろ困難な道こそが、信仰の甘美と、真実の幸福を味わう道な のであると揺るがないようにすべきです。
      預言者ノアについてアッラーはおっしゃりました。
      『われらは確かにノアをその民につかわし、彼はその中で (アッラーの教えへと招きつつ、)千年から五十年差し引いた 年月を過ごした。そして(彼らが信じなかったので、)不正者で あった彼らを、洪水が捕らえた。』
      (29:14)

      アッラーは預言者アブラハムについて私たちにこうお 伝えになっています。 『そして彼(アブラハム)の民の返答は、「彼を殺すか、焼いてし まえ」と言うものだけだった。(彼らはアブラハムを火の中に放 り込んだが、)アッラーは彼を火からお救いになった。本当にそ の中にはまさしく、信仰する民への御しるしがある。』
      (29:24)

    アッラーは預言者モーゼについておっしゃりました。
    『フィルアウンは、(自分の民の有力者たちに)言った。「私に モーゼを殺させ、彼を自分の主に祈らせてみよ。本当に私は、 彼があなた方の宗教を変えてしまったり、地上(エジプト)に腐 敗を出現させたりすることを怖れているのだ」。』
    (40:26)

    アッラーは預言者シュアイブについておっしゃりました。
    『彼の民の内、(信仰に対して)高慢だった有力者たちは言っ た。「シュアイブよ、私たちは必ずやあなたと、あなたと共に信 仰した者たちを、私たちの町から追放しよう。さもなくば、あな た方は絶対に私たちの宗教に戻るのだ」。彼(シュアイブ)は言 った。「たとえ私たちが、(そのような宗教を)毛嫌いしていた としてもか?』
    (7:88)

    アッラーは預言者サーリフについておっしゃりました。 『彼ら(サムードの民)は、言った。「サーリフよ、あなたはこれ 以前、私たちの間で確かに期待された人物であった。一体あ なたは、私たちが、私たちのご先祖様が崇めるものを崇める ことを、禁じるのか?本当に私たちは、あなたが私たちを招い ているものに対する、大きな疑惑の真っただ中にあるという のに」。
    (11:62)

    アッラーは預言者ロトについておっしゃりました。
    『その民の答えは、(このように)言うことだけであった。「ロト の家族を、あなた方の町から追放するのだ。本当に彼らは、潔 癖ぶった人々なのだから」。』
    (27:56)

    アッラーは預言者イエス・キリストについておっしゃりま した。
    『また彼らの、「本当に私たちはマスィーフ(メシア)、アッ ラーの使徒であるマルヤム(マリア)の息子イエスを、殺し たぞ」という言葉ゆえに(、われらは彼らを呪ったのだ)。彼 らは、彼を殺してもいなければ、はりつけの刑にもしていな い。だが、彼らには似通って見えたのだ。本当に、彼について 意見を異にした者たちは、まさしくそこにおいて疑念の中に あった。彼らはそのことについて僅かばかりの知識もなく、た だ憶測に従っていたに過ぎない。そして彼らは、確信をもって 彼を殺したわけではなかったのだ。』
    (4:157)

    アッラーは預言者ムハンマドについておっしゃりました。 : 『われらは、本当に彼らの言うことがあなたを悲しませるこ とを、確かに知っている。(だが、悲しむのではない。)というの も、彼らは(確信を持って)あなたを嘘つき呼ばわりしている のではないのだ。だが不正者たちはアッラーの御しるしを、否 定しているのである。』
    (6:33)
    • ムスリムにとっての偉大なるゴールとは何か.
      ムスリムにとってのゴール、それはアッラーのご慈愛と天国を 手に入れることです。それを手に入れることができるのは、 人生を終えてからです。それを手に入れるために、ムスリム たちは死ぬまで努力奮闘を続けます。一方で神を信じない人 達は、現世におけるゴールを達成して、つかの間の幸せを経 験した瞬間に、ふと思うのです。さて、次は何をするべきなの か。このような不安を感じるのは、精神的に不安定な状態にあ るからです。欲望を満たすためだけに生きていては、本当の 幸福を感じることはできません。アッラーはこのような状態の 人々について、おっしゃりました。
      『本当にアッラーは、信仰し、正しい行いを行う者たちを、その 下から河川が流れる楽園に入れて下さる。一方、不信仰に陥っ た者たちは(現世を)楽しみ、まるで家畜が食べるように(ひたす ら)食べている。(地獄の)業火が、彼らの住処なのだ。
      (47:12)



    • どれほどの学位を持っていたとしても、自分たちの創造主を 理解することができなければ、その知識が有益であるとは言 えません。アッラーはおっしゃります。『いや、あなたは、彼らの大半が(クルアーンを熟慮して)聞い ていると、あるいは分別していると思っているのか?彼らは家 畜のようなものに外ならない。いや、彼らは(それら)より道に 迷っているのだ。
      (25:44)

      ある詩人は言います。『死者 や、死者がたどった末路では なく、成功者がどのように成功 したかを見なさい』。アッラー はおっしゃります。 『われらは確かに、多くのジン (精霊的存在)と人間を地獄の ために創った。彼らには理解す ることのない心があり、見るこ とのない眼があり、聞くことのない耳がある。それらの者たちは 家畜のよう。いや、彼らは(それら)よりひどく迷っている。それら の者たちこそは、(信仰に)無頓着な者たちなのだ。』
      (7:179)

      これは現世の生活をほったらかしにして人の厄介になれとい う意味ではありません。アッラーは信仰者たちに、現世におい ても努力奮闘し、生活の糧を得るために一所懸命働くように お教えになっています。これはシャリーア(注1)ています。アッラーはおっしゃりました。 『かれはあなた方のため、大地を平坦にされたお方。ゆえに その方々を歩き、かれの糧から食べるがよい。そしてかれにこ そ、(清算と報いのための)復活があるのだ。』
      (67:15)

      自分たちの生活に必要なものを得るためや、家族のために 働くことや、神のお喜びになる慈善事業のために働くこと で、私たちの来世での位階が上がってゆきます。アッラーは おっしゃります。 『アッラーの道において自らの財産を費やし、それから自分 が費やしたものに、(施しを費やした相手に対する)恩着せが ましさや害を伴わせない者たち、彼らには、その主の御もとに ほうびがある。そして彼らには怖れもなければ、悲しむことも ない』
      (2:262)

      ムスリムに求められていることは人生を輝かせることであ り、考えと行動を台無しにしてしまうことではありません。「ほどこしをする手は、それを受け取る手より優れています。あ なたが人助けのためにほどこしをする最善の手段は、裕福な 時にほどこすことです。また誰でもほどこしから取るのを控える 人を、アッラーは祝福されるでしょう。」
      (ブハーリーによる伝承)

      人は意図によって、ほうびを受けます。もし裕福な人がアッ ラーの道においてほどこすならば、アッラーはその意図によ るほうびを与えてくださるのです。預言者(彼に平安と祝福あ れ)はおっしゃりました。「世界は四種類の人のためにあります。アッラーから財産と 知識を授けられてなお、アッラーを怖れ、家族の絆をたもつ 人。彼らは自分たちの権利がアッラーによるものであることを 理解しています。このような人たちは最も優れています。二番 目の人たちは、アッラーから知識を授かったものの、財産は授 からなかった人たちで、彼らがもし誠実な意図から『お金があ ったら、それをしかるべく使ったでしょう』と言えば、おなじ褒 賞を受けるのです。」
      (ティルミズィーによる伝承)
    • 人生の真実を知ること.

      イスラームはムスリムに、この世界の喜びは一時のものにす ぎないと、はっきり教えています。アッラーはおっしゃります。 『欲望(を誘うものへ)の愛情は、人々に煌びやかにされた。 婦女、子供、莫大な金銀財宝、美しい馬、家ちく、農地。それら は、現世の生活における楽しみ。そしてアッラーの御もとにこ そは、善い帰り所があるのだ。』
      (3:14)

      アッラーは人生の短さについてこのようにおっしゃりました。 『(人々よ、)知るがよい、現世の生活は遊興、たわむれごと、 飾り、自分たちの間の誇り合い、財産と子供の増やし合いに過 ぎない。(それは)あたかも、その植物が農夫たちを喜ばせた 慈雨のようである。やがてそれは枯れ、あなたはそれが黄色 くなるのを目にし、ついにはそれは木っぱみじんになってしま う。そして来世にこそ、(不信仰者に対する)厳しい懲罰と、(信 仰者に対する)アッラーからのお赦しとお喜びがあるのだ。現 世の生活は、いつわりの楽しみに過ぎない。』
      (57:20)

      アッラーは現世とは、真実であり永遠である来世への、ほんの ふみ台にすぎないとおっしゃりました。預言者(彼に平安と祝 福あれ)は、この事について、教友ウマルに話しています。ある 時、預言者の部屋に入ったウマルは、預言者の体に藁敷きの マットのあとが残っているのを見て、こう言いました。「アッラ ーの預言者様、よろしければ寝心地の良いベッドを持ってきま しょう」預言者は答えました。「現世で何を求めるというのです か。現世での生活は、馬で出かけた人が木陰で少し 休んでから出発するまでのような、わずかな期 間でしかありません」
      (アフマドによる伝承)

      人生とは心配と不幸に満ちたものであ ると、全能なるアッラーは明らかになさ っています。楽しい日があれば、悲しい 日もあります。笑う日もあれば、泣く日 もあるのです。
      絶え間ない喜びなどというものは不可 能なのです。それが人生における自然な 状態なのですから。
      私たちはこの世界に依存することで、来世を無視するべきで はありません。預言者(彼に平安と祝福あれ)は教友アブドゥ ッラー・ビン・ウマルにおっしゃりました。 「現世においてはよそ者か、旅人のようでありなさい」
      (ブハーリーによる伝承)

      王様はどうでしょう。誰もが現世を楽しんでいると思う王達で すら、人が思うほど人生を楽しんでいる訳ではありません。ス ペインのウマイヤ朝のカリフの一人で、50年以上統治者だっ たアブドゥルラフマーン・アンナースィルが亡くなった際に、こ のような手記が発見されました。「実に、本当の意味で楽しか った日など、数えるほどしかなかった。」彼にとって完全なる喜 びの日は、全人生のうちに14日間のみだったと言います。

      ある詩人はこの人生の性質をこのように示しました。
      人生は跡形もなく消えてゆく 全てはあっと言う間にやってきて、また過ぎてゆく ひとときの楽しみがあっても、大半の時には悲しんでいる

      このような詩人の言葉もあります。 誰もが人生に文句を言うが おお人々よ、永遠に生き

      てゆけるとでも思っているのか?
      信仰者はこのような現実を理解すると、来世のための準備を 強く望むようになり、闇雲に人生に執着することを望まなくな ります。物質世界への執着があると、何かが失われるたびに悲 しくなり、それが幸せを台無しにしてしまうからです。アッラー はおっしゃりました。『全ての者は、死を味わう。そして復活の日、あなた方は(現 世での行いに対する)自分たちのほうびを、余すことなく授か るのだ。それで、誰でも(地獄の)業火から遠ざけられ、天国 に入れられた者は、確かに(自分が望む最高のものを)勝ち 取ったのである。現世の生活は、いつわりの楽しみにすぎな い。
      (3:185)
    • 善い人間とすごし、悪い人間を避ける.

      友人の影響について否定できる人はいないでしょう。『類は友 を呼ぶ』とはよく言ったものです。友人は私たちを、善くも悪く もします。友人はあなたを幸福にも、みじめにもするのです。 アッラーの使徒(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃりました。 『善い友達と悪い友達は、香水売りと鍛冶屋のようなものです。 香水売りは、売るにせよ、そうでないにせよ、あなたをいい香りに してくれるものです。一方で、鍛冶屋はあなたの服を焦がすか、 少なくとも嫌な匂いを残してゆくのです』
      (ブハーリーによる伝承)



      善い友達は困難の時にも心強い味方となります。災難が降り かかれば助けてくれて、感謝を忘れてしまう時には神を思い 出させてくれるでしょう。悪い友達は反対で、あなたが必要な 時に、真っ先にあなたを見捨てることで、よりみじめな気持ち にさせるのです。
    • 悪い行いをさける.
      悪い行いは人を不幸にし、本当の幸福を味わう妨げとなりま す。もっと言ってしまえば、罪を重ねることは、幸福の源である アッラーとの関係を遠ざけてしまうのです。アッラーはおっし ゃりました。 『断じて(、彼らの主張は正しく)ない!いや、彼らが稼いでい たもの(罪)が、その心にさびをつけたのである。』
      (83:14)

      預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃりました。「信仰者が罪を犯すと、心に黒いシミが残ります。彼が悔い改 めれば黒いシミは消えて、心は清められますが、罪を犯し続け るならば闇が広がります。これが、アッラーがクルアーンでお っしゃっているシミなのです」
      (イブン・マージャによる伝承)

      ムスリムは罪を遠ざけなければいけません。罪の危険性につ いて預言者(彼に平安と祝福あれ)はこうおっしゃりました。「人は犯した罪によって、糧を得ることから遠ざけられてしま うのです」
      (イブン・ヒッバーンによる伝承)

      罪を犯すとその不快さから、人はみじめな気持ちになるもの です。預言者(彼に平安と祝福あれ)は罪について聞かれて、 こう答えました。「あなたの魂と、心に聞きなさい。正しさとは魂と心を満足さ せるものです。罪とは、たとえ人々からくり返し太鼓判を押さ れても、魂が動揺して、胸にためらいを起こさせるものです」
      (スナン・アッダーリミーによる伝承)
    • 前の世代に下された罰について.

      人は現世の生活が永遠に続くわけではない事を理解しなけ ればなりません。どれだけ人類が進歩しようとも、世界は終わ るのです。アッラーは、おっしゃります。 『一体彼らは、われらが彼ら以前に、どれだけ多くの(不信仰 な)世代を滅ぼしてきたかを、知らないのか?われらは地上にお いて彼らに、あなた方には授けなかった力を授けた。また、われ らは彼らに豊かな雨を送り、彼らの下からは河川を走らせた。に も関わらず(彼らは不信仰に陥ったので、)われらは彼らをその 罪ゆえに滅ぼし、彼らの後に別の世代を設けたのである。
      (6:6)

      アッラーはおっしゃります。『一体、彼らは地上を旅し、彼ら以前の(不信仰)者たちの結 末がいかなるものであったかを見なかったのか?その者たち は彼らよりも力が強く、大地を耕し、彼らがそれ(大地)を開拓 したのよりも沢山、開拓したのだ。そして彼らの使徒たちは、 明証を携えて彼らのもとに到来した。アッラーが彼らに不正を 働くなどということは、あり得べくもなかったのだ。しかし彼ら が、自分自身に不正を働いていたのである。』
      (30:9)

      アッラーはおっしゃります。 『また、アードとサムードも(、われらは滅ぼした)。彼らの住 まいの一部は、あなた方に確かに明らかになっている。シャイ ターン(悪魔)が彼らに、彼らの行いを目映く見せ、彼らを(ア ッラーの)道から阻んだのだ。彼らは、(真理を見極める)見識 を備えた者たちだったというのに。
      (29:38)

      アッラーはおっしゃります。『われらはその暮らし向きに思い上がった、どれだけ多くの (不信仰な)町(の人々)を滅ぼしてきたのか?そして、それら が(廃墟と化した)彼らの住居である。(その内)僅かなものを 除いては、彼らの(滅亡)後、居住されることはなかったのだ。 われらこそはもとより、相続者なのである。
      (28:58)

      現世の生活が一時的なものに過ぎないことを理解すると、 信仰者は幸福を感じて、アッラーのご意志に従うようになりま す。アッラーはおっしゃります。『(使徒よ、)人々に警告せよ、彼らに懲罰が到来し、(不信仰とい う)不正を働いた者たちが(、こう)言う(復活の)日のことを。「我 らが主よ、短い期間だけ、私たちに猶予をお授け下さい。あなた の呼びかけに応え、使徒たちに従いますから」。(すると、彼らに こう言われる。)「あなた方は以前、自分たちには(現世から来世 への)移転などない、誓いを立てたのではなかったか?また、あ なた方は、自らに不正を働いた(過去の不信仰)者たちの住処に 滞在した。われらが彼らに対していかなる仕打ちをしたか、あな た方には明らかになったのである。われらは(このクルアーンの 中で)、あなた方にいくつものたとえを挙げたのだ」。』
      (14:44-5)
    • 自分よりも不幸な人について考えてみる.
      ほとんどの人は、財産に恵まれていることに気づいてもいま せん。そして、それを失った時に、ようやく気がつくのです。困 ったときには、自分よりも不幸な境遇にいる人について考え てみて下さい。病気になっても動けるならば、寝たきりの人に ついて考えみて下さい。預言者(彼に平安と祝福あれ)は言い ました。
      「あなたより恵まれない人をご覧なさい。あなたより幸運な 人を見てはいけません。それはアッラーからのお恵みや祝福 を、軽視させてしまうからです」
      (ブハーリーとムスリムの伝承)

      恵まれない人を見れば、自分が授かったアッラーからの慈悲 に気付いて満足できるものです。
      こんな話があります。男が貧乏に困っているとグチを言いに 来たので、学者がたずねました。
      「あなたは視力を10万枚の銀貨と取り換えますか?」男は答 えました。「まさか!」学者は聞きました。「手はどうです?10万 枚の銀貨です」男は答えました。「絶対に嫌です!」学者は聞き ました。「足は?10万枚の銀貨です」男は答えました。「絶対に 嫌です!」学者は言いました。「あなたは何千万もの銀貨に値 する祝福とめぐみを受けているのに、まだグチを言うのです か?」
      また来世のことを考えて自分を成長させるためには、自分よ り優れた人から学ぶことも大切です。
    • アッラーの教えに喜びを感じたときに得られる満足

      欲望を遠ざけて、アッラーのご意志に従うことで、私たちは純 粋な満足を得ることができます。クルアーンの教えと預言者の 習慣は、このような幸福を信仰者たちの心に広げる大きな力 を持っています。その教えによって私たちは、不満につながる 悪や憎しみをさけて、平和的な人生を送ることが出来るので す。その教えに従う人たちは、間違いなく幸福な人生を送るの です。アッラーはおっしゃりました。
      『また、われらが彼ら(不信仰者)の内の様々な者たちを楽し ませているものに、決してあなたの(羨望の)視線をくぎ付け にするのではない。(それは、)われらがそれで彼らを試練に かけるための、現世の生活の飾りなのである。あなたの主の 糧は、(彼らが味わっている享楽)より善く、より永く続くものな のだ。』
      (20:131)



      預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃりました。 「アッラーに従う人は成功し、十分な糧を得るでしょう。そして アッラーは彼を満足させて下さるのです」
      (ムスリムによる伝承)

      アッラーの預言者(彼に平安と祝福あれ)が伝えているよう に、この世界に対する愛情は、誰もが備えている自然な性質 なのです。「人間というものは、二つの谷いっぱいの財産があっても、三 つ目を求めるものです。人を満足させるものは、土だけだとい うのに。 ゆるしを求める人のことを、アッラーはおゆる しになります」
      (ブハーリーによる伝承)

      預言者(彼に平安と祝福あれ)はムスリムたちに、自分が所有 するもので満足するように教え、導きました。
      預言者(彼に平安と祝福あれ)はこう伝えました。 「家で無事に目覚めて、健康で、その日食べるものがあるな らば、全世界を与えられたようなものなのです」
      (ティルミズ ィーによる伝承)

      この言葉について深く考えてみると、それこそが人生で必要 なものなのだと気がつくはずです。明日起きる事についてご 存知なのはアッラーだけです。私たちが明日まで生きている という保証はどこにもありません。銀行預金が残っているかも わかりません。突然の事故で亡くなってしまうことだってある のです。アッラーは仰っています。『本当にアッラー、かれの御もとにこそ、(復活の日の)その時 の知識がある。またかれは慈雨をお降らしになり、子宮の中に あるものをご存知になる。そしていかなる者も、自分が明日か せぐことになるものを知らず、いかなる者も、自分がいずこの
      (31:34)
    • アッラーのご意思に従い、アッラーのみに身をゆ だねる
      アッラーこそが全てを支えて下さっている御方。彼はお望みの 者にお与えになり、お望みの者からお控えになるのです。彼は お望みの者に権力と高潔さを与え、お望みの者を弱くみじめ になさるのです。アッラーはおっしゃります。 (預言者よ、祈って)言うがよい。「王権の所有者アッラーよ、 あなたは、あなたがお望みの者に王権をお与えになり、あなた がお望みの者から王権を剥奪されます。また、あなたがお望み の者に権勢をお与えになり、あなたがお望みの者を卑しめられ ます。あなたの御手にこそ、善きものはあります。本当にあなた は、全てのことがお出来になるお方なのですから。』
      (3:26)

      私たちが人生で得ることになる全ての糧が、母親の胎内にい る時に既に決められている事を理解すれば、失われた機会に くよくよする事も無くなるものです。預言者(彼に平安と祝福 あれ)はおっしゃりました。 「本当にあなた方はみな四十日間、母親の胎内に一滴の液 体としてあり、それから凝血となり、やがてひとかたまりの肉と なるのです。そして魂をふきこむ天使が、四つのことを書き留 めるのです。生涯の糧、寿命、その行動、幸福になるか不幸に なるか。」
      (天国に入るか入らないかに関わらず)

      人は神に定められたものを全て受け取るまで、人生を去るこ とはないのです。預言者(彼に平安と祝 福あれ)はおっしゃりました。「どのような人も、アッラーから与えら れた期間と糧を全うするまで、この人 生を去ることはありません。だからアッ ラーに求めなさい。あなたの願いに対する答えが遅れたとし ても、不法なものに求めるべきではありません。アッラーに従 う人だけが祝福を得るのですから」
      (タバラーニーによる伝承)
    • 悪く見えても、アッラーから与えられたものを喜ぶ べきである

      アッラーはおっしゃります。『信仰する者たちよ、嫌がる女性(自身)を相続することは、 あなた方に許されない。また、あなた方(夫)は、(婚資金とし て)妻に贈った物の一部を持ち去ろうとして、彼女らに嫌がら せをしてはならない。ただし、彼女らがまぎれもない醜行を 働いた場合は別である。また妻とは、適切な形で付き合うの だ。もし、あなた方が(何らかの現世的理由ゆえに)彼女らを 嫌ったとしても(、忍耐せよ)。あなた方は、アッラーがそこに沢 山の善きものをご用意下さっているものを、嫌っているのか もしれないのだから。』 (4:19)
      あなた自身が、そうと分からず嫌っていることが、実は、あなた にとって良い事である場合もあるのです。アッラーはおっしゃ ります。『(信仰者たちよ、)戦いが、あなた方に義務づけられた。そして それは、あなた方にとって嫌なもの。あなた方は自分たちにとっ て善いことを嫌うかもしれないし、自分たちにとって悪いことを 好むかもしれない。アッラーが(あなた方にとって真に良いこと を)ご存知なのであり、あなた方は知らないのである。
      (2:216)
    • アッラーは神の知識のもと、ある人々に、他の人々 より多くの現世的な所有物を与えられる
      アッラーはおっしゃります。 『また、アッラーは糧において、あなた方のある者を別の者より も、お引き立てになった。そして(糧において)引き立てられた者 たちは、自分たちの右手が所有するもの(奴隷)にその糧を還元 し、それ(の所有)において彼らが(自分たちと)同等となるように はしない。一体、彼らはアッラーの恩恵を否定するのか?』 (16:71)
      アッラーはおっしゃります。『見よ、われらがいかに彼らのある者を別の者より引き立て たか?来世こそは(信仰者にとって)より位が高く、より優れた ものなのだが。
      (17:21)
    • 他人を妬んだり、人のものを欲しがったりすべき ではない.
      アッラーはおっしゃります。『言ってやれ。「本当に我が主は、その僕たちの内、かれがお 望みの者に糧を豊富に与えられ、またその者に(それを)控え られる。そして、あなた方がどんなものでも(アッラーに命じら れたことに)費やせば、かれはそれを(ほうびで)継がせ給う。 かれは、最もよく糧を授けられるお方」。』
      (34:39)

      欲望に支配されることは心の満足を邪魔するので、ムスリム はそれを避けるように教えられています。アッラーはおっしゃ ります。 『アッラーがあなた方のある者に対し、他の者よりも多くお恵 みになったものに関して、羨望するのではない。男たちには彼らが稼いだもの(行い)による取り分があり、女たち にも彼女らが稼いだもの(行い)による取り分があるのだ。(羨望 する代わりに)アッラーの恩寵を乞うがよい。本当にアッラーはも とより、全てのことをご存知であられるお方なのだから。』
      (4:32)

      アッラーはムスリムたちに、自分のしたことを細かく反省する ように教えられています。預言者(彼に平安と祝福あれ)はお っしゃりました。 「賢い人とは、自分の行いを反省して、死後に備えた行動を する人です。間違える人とは、気まぐれで、行動もせずに楽観 的に考える人です」
      (ティルミズィーによる伝承)
    • ねたみ、憎しみ、恨みを遠ざける

      これらは幸せを台無しにして、人をみじめにする危険な病で す。アッラーに与えられたものに満足せず、人の持ち物をねた んだりすれば、誰でも嫌な気持ちになるものです。アッラーは おっしゃりました。『いや、彼らはアッラーがお授けになった恩寵に対して、人々 を妬んでいるのか?われらは確かに、アブラハムの一族に啓 典と英知を授けたのであり、彼らに偉大なる王権を与えたの だ。』
      (4:54)



      嫉妬による傲慢さは、かつて犯された最初の罪でした。アッラ ーはアダムを創造して、天使たちにひれ伏すように命じた時 に、悪魔が何をしたかをお伝えになっています。『彼(悪魔)は、(アッラーに)申し上げた。「仰って下さい。これ が、あなたが私よりもお引き立てになった者です(が、そのわ けは何ですか)。もしもあなたが、私に復活の日まで猶予を授 けて下さったなら、私は(精選された)僅かな者たちを除き、必 ずやその子孫を(誘惑と腐敗によって)思い通りにしてみせま しょう」。』
      (17:62)

      アッラーの使徒(彼に平安と祝福あれ)は信者たちに、この病 を注意されました。「お互いを妬んではいけません。値段を釣り上げてもいけま せん。憎しみあってもいけません。お互いに背をむけあった り、取引で損をさせてもいけません。むしろアッラーのしもべ として兄弟となりなさい。ムスリムはムスリムの兄弟であり、 迫害してはならず、おとしめてもならず、嘘をついても、軽蔑 してもいけません。信仰の深さはここにあります(と、三回胸 を指されました)。おなじムスリムをさげすむのは、十分に邪 悪なことです。ムスリムはムスリムにとって神聖な存在なので す。その血と、財産と、名誉において」
      ((ムスリムによる伝承)

      アッラーは、自分を愛するように他人を愛しなさいとお教えに なりました。彼はおっしゃりました。『また、彼ら(移住者、援助者たち)の後にやって来た者たち で、(こう)言う者たち。「我らが主よ、私たちと、信仰において 私たちに先がけた私たちの兄弟たち(の罪)をお赦し下さ い。そして私たちの心の内に、信仰する者たちへの憎しみの念 をわかせないで下さい。我らが主よ、本当にあなたは哀れみ 深いお方、慈愛深いお方です」。』
      (59:10)

      兄弟姉妹であるムスリムへの、正しさと幸運を願う気持ちは 誠実な心からやってきます。預言者(彼に平安と祝福あれ)は おっしゃりました。「兄弟のために祈る人のために、天使はこう言うのです『アー ミーン、あなたにも同じものがありますように』」
      (ムスリムによる伝承)
    • 傲慢さと下品な行いを避ける
      傲慢な人は幸福になれず、軽蔑されてしまいます。人を嫌 い、また嫌われるような人が、どのような幸福を感じられると いうのでしょう?アッラーはおっしゃりました。
      『アッラーの御しるし(を拒むこと)において、(アッラーの御 もとから)到来した根拠もなく議論する者たち、(そのような議 論は)アッラーの御もとと信仰した者たちのもとで、忌まわし いことこの上ないのです。同様にアッラーは、(アッラーへの服 従に対して)高慢で尊大な(あらゆる)者の全ての心を、閉じて しまわれます」』
      (40:35)

      預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃりました。「心に蟻の重さほどでも傲慢さがあれば天国には入れませ ん。ある男が言いました。『アッラーの使徒様、私たちのうちに は良い服と靴を履きたい者もおります(これは、傲慢でしょう か?)」預言者(彼に平安と祝福あれ)はお答えになりました。 「アッラーは本当に美しく、また美しいものを愛されます。傲 慢さとは、(プライドから)真実を否定して、人を見下すことな のです」
      (ムスリムによる伝承)

      イスラームは、信じる人々にアッラーの道において出費し、み じめにならないように勧めています。自分の財産を費やさな い人は、最終的に財産を失うのです。
    • みじめさを遠ざける.

      ケチはイスラームにおいて嫌われる性質であり、人をみじめ にする最大の原因です。ケチな人は財産の心配ばかりして、失 うことを恐れているのです。あまりの心配のために、持ってい るものを楽しむことも、善い道に使うこともできなくなってし まうのです。アッラーはおっしゃります。
      『また、アッラーがそのご恩寵から授けて下さったものを出 し惜しみする者は、それが自分たちにとってより善いことだな どと、絶対に思ってはならない。いや、それは彼らにとって、 もっと悪いことである。彼らが出し惜しみしていた物は復活の 日、彼らの首に巻きつけられるのだ。諸天と大地の遺産はアッ ラーにこそ属する。そしてアッラーは、あなた方の行うこと(全 て)に通ぎょうされるお方。』
      (3:180)

      ケチな人はお金や所有物がなくなることを恐れるために、人 を遠ざけてしまいます。預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっ しゃりました。「気前の良い人はアッラーに愛され、人に愛され、地獄の炎 から救われます。ケチはアッラーに愛されず天国からも遠く、 人々に嫌われて、地獄の炎に近いのです。無知で気前のよい 人間の方が、誠実なケチよりもアッラーに愛されます」
      (ティルミズィーによる伝承)

      イスラームは寄付をすること、そしてケチにならないことを人 々に勧めています。財産を出しおしみする人は最終的にそれ を失うことになるのです。預言者(彼に平安と祝福あれ)は、お っしゃりました。「毎日2人の天使が、願って言うのです。『アッラーよ、あなた のために寄付する人には、ほうびを与えてその財産を祝福し、 ケチな人からは減らしてください』」
      (ブハーリーによる伝承)

      アッラーの使徒(彼に平安と祝福あれ)はケチが広がると、社 会にどのような害が広がるかを明らかにしました。 「悪事に気をつけなさい。実にそれは、復活の日における大 いなる闇なのですから。ケチに気をつけなさい。それは過去 の人々を、流血と、自分たちの家族の侵害へと追いやり、滅ぼ したのですから。」
      (ムスリムによる伝承)

      イスラームにおいてケチは、信仰が失われてきている悪い傾 向であると見なされます。預言者(彼に平安と祝福あれ)は、お っしゃりました。「神への信仰と、ケチが、人の心に共存することはありませ ん」
      (ナサーイーによる伝承)
    • 何があっても希望を捨てず、忍耐する.
      忍耐は日常生活に欠かせないものです。忍耐なしで得られる ものなど、ほとんどありません。アッラーはおっしゃります。
      『信仰する者たちよ、(アッラーへの服従において)忍耐し、 (敵との)我慢比べに打ち勝ち、前線を守れ。そしてあなた方 が成功するべく、アッラーをおそれるのだ。』
      (3:200)

      人生は、アッラーが与えて下さったテストなのであり、素晴ら しい行いをこそ期待されているのです。アッラーはおっしゃり ます。『われらは、いくばくかの恐怖や飢え、財産や生命や果実の損 失によって、必ずやあなた方を試練にかける。忍耐する者たち には、吉報を伝えよ。』
      (2:155)

      また忍耐とともに、人の間違いをゆるすことも教えられます。 『また忍耐し、ゆるしてやる者。本当にそれこそは、あなた方 が決意を固めるべき事柄の内のもの。』
      (42:43)



      努力して、より忍耐強くなることは、全てのムスリムのゴールで もあります。アッラーは忍耐する者への愛について、こうおっ しゃりました。『誠にアッラーは耐え忍ぶ者を愛でられる。
      (3:146)

      アッラーは忍耐する者に大いなるほうびを約束されていま す。アッラーはおっしゃりました。 (使徒よ、われがこう言っている、と)言うのだ。「信仰するわ が僕たちよ、あなた方の主をおそれよ。この現世で善をつく す者には、善きものがある。そしてアッラーの大地は広大なの だ。本当に忍耐する者たちは、そのほうびを際限なく全うされ る」。』
      (39:10)

      預言者(彼に平安と祝福あれ)は、おっしゃりました。 「忍耐以上の祝福はない」
      (ブハーリーとムスリムによる伝承)

      忍耐があれば問題が起きたときにも気持ちが落ちつき、不幸 に打ちひしがれた後にも、幸福を感じることができると教えら れています。アッラーはおっしゃりました。『本当に、苦と共にこそ楽あり。本当に、苦と共にこそ楽 あり。』
      (94:5-6)

      預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃりました。 「勝利は忍耐の結果であり、安心は苦悩の結果なのです。困 難とともに、安楽はあります」
      (ハーキムによる伝承)

      イスラームはアッラーによって下された出来事に忍耐するよ うに教えています。預言者(彼に平安と祝福あれ)が災難にあ った時におっしゃった言葉があります。私たちは災難にあった 時に、この言葉を口にするよう勧められています。 「私たちはアッラーのもとからやって来て、アッラーのもとに帰 ります。アッラーよ、この災難で私にほうびを与え、より善い帰り 場所を与えてください。』こう言う人に、アッラーはほうびと、善 い帰り場所を与えてくださるのです」br> (アフマドによる伝承)
    • 怒ったり、感情的になるべきではない.

      怒りは人をみじめにします。アッラーはおっしゃりました。『そして(彼らは)、罪の内の大きなものと醜行を避け、(誰かに 悪くされて)怒ってしまった時にも、赦してやる者たち。』
      (42:37)

      怒りをコントロールできる人は、人生の困難を受け入れることが できます。預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃりました。「相手を倒すことの出来る者が強い人間だとは言えません。 強い人間とは、怒りをコントロールできる人なのです」
      (ブハーリーとムスリムによる伝承)
    • 人の間違いをゆるす
      ゆるしは社会に愛を広げてゆきます。アッラーはおっしゃりま した。『(彼ら敬虔な者たちとは、)順境においても災難の中であっ ても施し、いきどおりを抑え、人々を大目に見てやる者たち。ア ッラーは善をつくす者たちを、お好みになる。』
      (3:134)

      私たちはすべての上に君臨しておられる、偉大なるお方から 教えを授かっています。私たちは意地悪な人にですら、親切で あるべきなのです。それによって憎しみを退けて、幸福と、本 当の愛を感じることができるのですから。アッラーはおっしゃ りました。『善と悪とは同じではない。(使徒よ、あなたに悪くする者に も、)より善いものでもって、返してやれ。そうすればどうだろ う、あなたとの間に敵対心がある者も、あたかも親しい味方の ようになるのだ。』
      (41:34)
    • 常に希望をもち、希望を失ってはいけないこと。
      預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)は全てのムスリム のお手本です。彼は未来への希望を愛し、悲観を嫌われまし た。
      (ブハーリーによる伝承)
    • 悪に流されたり、他人を疑い過ぎてはいけない
      悪意を持って他人と接する人は、不安に満ちた人生を送るこ とになり、他人からも嫌われてしまいます。アッラーはおっしゃ りました。
      『信仰する者たちよ、憶測の多くを避けよ。実にある種の憶 測は、罪なのだから。また、(同胞のぼろを)詮索したり、互い に陰口を言ったりしてはならない。一体、あなた方の誰が、 死んだ同胞の肉を食べたいというのか?あなた方は、それ を忌み嫌うであろう。アッラーをおそれよ。本当にアッラー は、よく悔悟をお受け入れになるお方、慈愛深いお方なの だ。人々よ、本当にわれらは、あなた方を一人の男性と一人 の女性から創り、あなた方が知り合うべく、あなた方をいく つもの民族や部族とした。実にあなた方の内、アッラーの御 もとで最も高貴な者とは、最も敬虔な者なのである。アッラ ーこそは全知者、通ぎょうされるお方。』
      (49:12-13)

      預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃりました。 「悪い考えには注意しなさい。それ以上に真実から離れた言 葉はないのですから。おたがいに疑いあい、憎み合ってはい けません。アッラーのもとに兄弟としてありなさい」
      (バイハキ ーによる伝承)

      三種類の忍耐
      その1: 信仰における忍耐。アッラーはおっしゃりました。
      『(天使たちは、彼らに言う。)「あなた方が(現世で、アッラ ーへの服従において)忍耐したことゆえ、あなた方に平安 を」。そして世の(善き)結末は、何と素晴らしいことか。』
      (13:24)


      その2:罪を犯すことへの忍耐。アッラーはおっしゃりまし
      『また(預言者よ)、その御顔を望みつつ、朝に夕に自分た ちの主(だけ)に祈る者たちと共に、忍耐せよ。そして現世の 生活の飾りを欲して、あなたの眼が彼ら(信仰者たち)から (不信仰者へと)逸れてしまうようではならない。また、われ らがその心をわれらの唱念から遠ざけさせ、自らの欲望を 追及し、その状態が破滅に陥ってしまった者に従ってはなら ない。』
      (18:28)


      その3: アッラーが人類に下される災難への忍耐。アッラ ーはおっしゃりました。
      『いかなる災難も、アッラーのお許しなしには降りかかるこ とがない。そしてアッラーを信じる者は誰でも、かれ(アッラ ー)がその心を導いて下さろう。アッラーは、全てのことをご 存知のお方。』
      (64:11)

      良い考えを持つために


      ムスリムは人がする事を良い思考で受けとめ、相手の行動を 悪い意味に解釈してはいけません。


      • 過去を忘れて、アッラーのもとにやがて帰ること と、今すべきことを考える.
        アッラーはおっしゃりました。『人が、「ああ、私が(現世で)、アッラーのことにおいていい加 減だったことゆえの、我が悲痛よ!そして私はまさしく、嘲笑者 の類いだったのだ」と言うようにならないために。または、「ア ッラーが私のことを導いて下さっていたら、私は敬虔な者た ちの仲間となっていたのに」とか、あるいは(復活の日)、懲ば つを目の当たりにする際に、「もし、私に(現世へと)戻ることが 出来て、善をつくす者たちの一人となることが出来たなら」と か、言わないようにするために。』
        (39:56-58)

        また、ある有名な作家はこう言いました。「過去は取り戻せま せん。あなたが望むことは、見えない世界に属しているので す。あなたには今この場所でできることのみがあるのです。考 えても過去は戻りませんし、未来について考えても、今やるべ きことが出来なくなるだけなのです」
      • 慈善活動とアッラーの道のために出費する.

        幸福はもらうことにではなく、与えることにあります。貧しい人 に食事や衣服を提供したり、不幸に見舞われた人を助けるな ど、誰かの役に立つことをすると、私たちは何を感じるでしょ うか?アッラーはおっしゃりました。『あなた方の内、(宗教的)徳と(経済的)余裕のある者たち は、近親、貧者、アッラーの道において移住する者たちに(彼ら の過ちゆえ、施しを)与えることの放棄を誓ってはならない。そ して大目に見、見逃してやるのだ。あなた方は、アッラーが自 分たちのことをお赦しになるのを好まないのか?アッラーは 赦し深いお方、慈愛深いお方なのである。』
        (24:22)

        また寄付した相手のことは忘れるべきです。恩着せがましさ を感じさせてしまえば、せっかくの善い行動が台無しになって しまう上に、幸せも失ってしてしまいます。
        アッラーはおっしゃりました。『信仰する者たちよ、あなた方の施し(によるほうび)を、恩 着せがましさや害によって、無効にしてはならない。人々に見 せびらかすために自分の財産を費やし、アッラーも最後の日 も信じてはいない者のように。というのも彼の様子は、あたか も土で覆われた滑らかな岩のようであり、そこに大雨が降れ ば、それを裸にしてしまうからである。彼らは自分たちが稼い だ行いから、何も得ることがない。アッラーは、不信仰者であ る民をお導きにはならないのだ。』
        (2:264)

        寄付するものがなければ、親切に笑顔で話しかけるだけで十 分なのであり、これはアッラーの道において寄付したものを 自慢するよりも、ずっと優れているのです。アッラーはおっしゃ りました。 『適切な言葉と赦しは、(施した相手に対して)害を伴う施し よりも、ましである。アッラーは満ち足りておられるお方、寛大 なお方。』
        (2:263)

        ムスリムは常にアッラーの教えを守り、社会に前向きな影響 を与える存在でなくてはなりません。つまり他人の美点を愛 し、悪を憎むのです。アッラーはおっしゃりました。『また、彼ら(移住)以前に、その町(マディーナ)に信仰心と共 に居を定めた者たち。彼らは自分たち(のもとに)移住した者 を愛し、彼ら(移住者たち)が与えられたものについて、その胸 中に嫉妬の念を見出さず、(彼らのことを)自分たち自身よりも 優先する。たとえ彼らに、必要性があったとしても、である。自 分自身の貪欲さから守られた者、それらの者たちこそは成功 者なのだ。』
        (59:9)

        預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃりました。「自分を愛するように兄弟を愛するまでは、本当に信仰した とは言えません」
        (ブハーリーによる伝承)
      • 人を良い方向に導き、注意ぶかく悪をさけて幸福 に生きる.

        アッラーはおっしゃりました。『また(信仰者たちよ)、あなた方の内から、善きことへと招 き、善事を命じて悪事を禁じる共同体をあらしめよ。それらの 者たちこそは、成功者なのである。』
        (3:104)

        このような預言者(彼に平安と祝福あれ)の伝承があります。 「『宗教の基盤は誠実であることと、アドバイスです』私たち は聞きました。『それは誰に対してでしょうか?』彼はおっしゃ りました。『アッラーと、その啓典、その使徒たちに対して誠実 でいなさい、そしてムスリムの指導者および大衆に対して、誠 実にアドバイスをしなさい」
        (ムスリムによる伝承)
      • 困っている人を助けて、慈善のために費やす.

        アッラーはおっしゃりました。『また、その主の御顔を求めて忍耐し、礼拝を遵守し、われら が授けたものから(施しのため)秘密裏に、または公に費や し、善行によって悪行を追い払う者たち。そのような者たちに は、世の(善き)結末がある。』
        (13:22)
      • 物事をよくするために人を助けて、良い影響を与える

        至高なるアッラーはおっしゃりました。『よい執りなしをする者には誰でも、その(よいほうびの)分 け前があろう。また、悪い執りなしをする者には誰でも、その (罪の)取り分があろう。アッラーはもとより、全てのことを看 視されるお方。』
        (4:85)

        誰かが何かを頼みに来るたびに、預言者(彼に平安と祝福あ れ)はおっしゃりました。「兄弟を仲直りさせるならば、ごほうびを頂くことになるでし ょう。そしてアッラーがあなたの面倒を見て下さるでしょう」
        (ブハーリーによる伝承)
  • アッラーの使徒たちを信じること

    アッラーの使徒たちは、私たちが見習うべき素晴らしい人間 でした。彼らがいなかったならば、アッラーのことや、究極の幸 福について、私たちが理解することは出来なかったでしょう。 イブン・アルカイイムは彼の著、「帰り所のための糧」で言い までした。「深い心の癒し。それは使徒たちが伝えたものによ ってのみ、達成されるのです。心は自分たちの創造主を理解 して、良いことのために努力して、アッラーのお怒りを受ける ような不正を避けた時にのみ、善良なものとなります。その 事を、預言者たちに下された啓示なしに理解することはでき ません。導きに従わなくても健全な状態になれるという考え は賢明だとはいえず、動物のように欲望と、気まぐれに従うこ とになってしまいます。この二つの状態の区別がつかなけれ ば、心は沈んだままなのです」

  • 最後の日を信じること

    最後の日や、よみがえらされた後で受ける事になる褒賞と罰を 信じることは、この世界で迫害されていたり、権利を取り戻すこ とのできない人々に、安らぎと保証を与えてくれます。来世の喜 びを手に入れるため必要なものは、お金ではなく、善い行動で す。預言者(彼に平安と祝福あれ)は教友におっしゃりました。
    「破産者とは誰でしょうか?」彼らは言いました。「お金のない人 です」預言者(彼に平安と祝福あれ)はお答えになりました。「破産 者とは、私の民の内で、礼拝、断食、寄付といった素晴らしい崇拝 行為を行なっていながら、多くの間違いを犯すことで、善行の全て を、悪いことをした相手に捧げてしまう人のことです。彼はその罪 のために、地獄に落とされてしまうのです」
    (ムスリムによる伝承)

    私たちの責任と正義は、人間に対してだけではなく、動物に対 しても言えることです。預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっし ゃりました。「権利は正式な所有者にあります。突き殺された羊だとして も、同じことです」
    (イブン・ヒッバーンによる伝承)

    最後の日を信じる人は、本当に素晴らしいものは天国にある という事を理解しているために、現世で何かを得ることが出来 なくても、不安など感じないものです。預言者(彼に平安と祝福 あれ)はアッラーのお言葉をこのようにお伝えになりました。
    「私は従うものたちに、目が見たことも、耳が聞いたことも、誰も 想像すらした事がないものを用意している」それから預言者(彼に 平安と祝福あれ)はおっしゃりました。「望むのならば唱えなさい。 『また、いかなる者も、彼ら(信仰者たち)が行っていた(善 い)ことゆえの報いとして、彼らのために秘蔵された喜びを知 らない。』」
    (32:17)

    信仰者は災難に襲われたとしても、忍耐して、それがアッラーから の試練である事を理解するのです。天国に入れば痛みも全て消え てしまいます。預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃりました。 「現世において最も裕福で祝福されていた人が連れ出され て、地獄に一度ひたされてから質問されます。「アダムの子 よ、あなたの人生に良かったものがありますか?」彼は答えま す。「いいえ、アッラーよ!」そして現世で最もみじめだった人が 連れ出されて、天国に一度ひたされてから尋ねられます。「人 生で大変な目にあいましたか?」彼は答えます。「いいえ、アッ ラーよ!」
    (ムスリムによる伝承)

    最後の日を信じることはムスリムを良いことへの努力に駆り 立てるのです。

  • 運命を信じること

    私たちは自分たちに降りかかることはアッラーがお決めにな ったことであると信じ、災難で失ったものも、良いことも、全て アッラーのご意思によるものであると信じています。アッラー はおっしゃりました。
    『地上における、そしてあなた方自身におけるいかなる災難 も、われらがそれを創生する以前に書の中で(あらかじめ定め ること)なくしては、降りかかることがなかったのだ。実にそれ はアッラーにとって、たやすいこと。(アッラーがこのように仰せ られるのは、)あなた方が、(現世で)自分たちが逃したものゆ えに心痛ませたり、かれ(アッラー)が自分たちに授けて下さっ たものゆえに、有頂天になったりしないようにするため。アッ ラーは(、自分が現世で授かったものゆえに)尊大ぶる者、(他 人に対して)高慢ちきな者をお好みにはならない。』
    (57:22-23)

    預言者(彼に平安と祝福あれ)はある教友におっしゃりました。「若者よ、あなたに助言をしましょう。アッラーを思えば、アッラ ーが助けて下さるでしょう。頼むのならばアッラーだけに頼み、 助けを求めるならばアッラーだけに求めなさい。そして全ての 民がひとつになって、あなたの役に立とうとしても、アッラーが お決めになったこと以外は何ひとつとして彼らに出来る事はな いのだと知りなさい。また彼らがひとつになって、あなたに危害 を加えようとしても、アッラーがお定めになったこと以外は何ひ とつ、彼らに出来る事はないのだと知りなさい。ペンはすでに あげられて、ページは乾いているのです」
    (ハーキムによる伝承)

    運命を信じることは人を幸せにして、心に安らぎを与えてくれ ます。チャンスを失っても、くよくよしたり、不安になる必要はな いのです。預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃりました。「強い信仰者は、弱い信仰者よりも優れており、よりアッラー に愛されます。しかし、いずれもよいものです。注意深く自分の ためになる事をして、希望を失ってはいけません。避けがたい 出来事が起きたとしても、『もし、あれやこれをやっていたら』 という言葉はいけません。『もし』は悪魔へのドアを開くので すから」
    (ムスリムによる伝承)

    私たちは失った機会を悲しむべきではありません。ふり返って みると、広められた不安が病気を巻き起こしている事も多くあ ります。直接であるにしろないにしろ、これらは運命を信じる ことのできない結果だと言えます。アッラーのご意思のもと、
    これらの六つの柱を心から信じることができれば、あなたは 心配事や悩みを克服することができるでしょう。

    恐怖の種類と癒し

    イスラームは恐怖、悩み、心配を癒してくれます。人は様々な ことに恐怖を抱くものです。

    • 必要品の不足への恐怖

      Aアッラーはおっしゃりました。『また天には、あなた方の糧と、あなた方に約束されている ものがある。』
      (51:22)


      アッラーのお言葉は真実です。天国には人々のための恵み、糧 があるのです。雨がふって野菜が育つように、私たちも雨水から 恵みを受けています。アッラーは、私たちに必要な恵みをご用 意して下さると約束なさりました。アッラーはおっしゃりました。 『地上を歩くいかなる生き物でも、その糧がアッラーに委ね られていないものはない。またかれは、それらの定住地と収 容地をご存知である。全ては、明白なる書の中に(あらかじめ 定められて)あるのだから。』
      (11:6)

      どれほど弱い生き物にも、アッラーは糧をお与えになってい す。アッラーはおっしゃりました。 『自らの糧を調達することのない、どれほど多くの地を歩む生き 物に対し、アッラーは糧を授けられることか?そしてあなた方に も?かれはよくお聞きになるお方、全知者であられる。』
      (29:60)

      イエス・キリストを出産して、痛みに弱っていたマリアに、アッ ラーはおっしゃりました。 『そしてナツメヤシの木の幹を、ご自分の方にお揺らしなさ い。そうすればそれは、採りごろの熟れたナツメヤシの実を、 あなたの上に落とします。』
      (19:25)

      アッラーは新鮮な最高のナツメヤシをお恵みになったので す。マリアは木を揺するだけで、それを手にする事ができまし た。アッラーは動物たちにもお恵みになるのであり、いたる所 にアッラーからの恩恵を見ることができます。預言者(彼に平 安と祝福あれ)はおっしゃりました。「あなたが本当にアッラーに身をゆだねるならば、鳥たちに与え るように、あなたに与えてくださるでしょう。鳥たちは空腹で巣を 飛び立ち、満腹で戻ってくるのです」
      (イブン・マージャによる伝承)

      また人は間違った方法で、神に身をゆだねがちです。間違い を起こさないために、自分ができることはしなければなりませ ん。預言者(彼に平安と祝福あれ)はラクダを縛っておかずに 失ってしまった男に、神に『身をゆだねる』とはそういうことで はない、とおっしゃったことがあります。 「ラクダをつないで、アッラーを信じなさい」
      (イブン・ヒッバーンによる伝承)

      このような教えを無視して、魔法のような恵みを求める人が多 いのも事実です。預言者(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃり ました。 「薪を売ることは、物乞いをするよりも良いのです」
      (ブハーリーによる伝承)

      この言葉から、アッラーの恵みを得るために努力する事の大切 さがわかります。また誰かにアッラーからの恵みを奪われるなど とは、考えるべきではありません。アッラーはおっしゃりました。 『言ってやるがいい。「もし、あなた方が我が主のご慈悲の宝庫 を所有していたとしても、出費(ゆえの貧困)を恐れて出しおし みしたであろう。人間とは元来、守銭奴なのだから」。』
      (17:100)
    • 病気や災害などの被害への恐怖 このような恐怖はどれだけ心配しても、何も変わりはしません。 むしろ状態は悪くなるばかりです。アッラーはおっしゃりました。
      『(使徒よ、)もしアッラーがあなたに害悪をお与えになれ ば、かれ以外には誰一人、それを取り除いてくれる者はいな い。また、かれがあなたに何らかの善をお望みになれば誰一 人として、その恩寵を突き返す(ことの出来る)者はいない。か れはその僕の内から、かれがお望みになる者に、それ(害悪あ るいは善)をお与えになるのであり、かれは赦し深いお方、慈 愛深いお方なのだ。』
      (10:107)

      アッラーの使徒(彼に平安と祝福あれ)はおっしゃりました。「本当に驚くべきは信仰者の態度です。全ての出来事が最終 的に善となってしまうのは、信仰者だけのことです。祝福に恵 まれれば、神に感謝することで善となり、災難にあえば、忍耐 することで善にするのです」
      (ムスリムによる伝承)


      預言者(彼に平安と祝福あれ)は降りかかった災難を受け入れ るように命じられ、また災難がやわらぐことを願っていました。 預言者(彼に平安と祝福あれ)は、会いに行った孫の様子に 涙を流されたことがあります。預言者(彼に平安と祝福あれ) は、死の床にある子供の横にお座りになりました。子供の目は 石のように動かなくなっていました。それをご覧になって預言 者(彼に平安と祝福あれ)はお泣きになりました。教友サァド が涙についてたずねました。「なぜです、預言者様?」彼はお答 えになりました。「これは至高の神が信仰者に下さるご慈悲な のです。本当に神は、他人に対して慈愛深くある人に、慈愛深 くあられるのです」
      (ブハーリーによる伝承)

      ムスリムは忍耐強くなければならない一方で、病気の時には 薬による治療をしなければなりません。預言者(彼に平安と祝 福あれ)はおっしゃりました。「アッラーに従うものたちよ、薬による治療を探しなさい。本 当にアッラーは病気だけではなく、その薬もお定めになった のですから」
      (イブン・ヒッバーンによる伝承)

      また、人は違法な薬を求めないように注意しなければなりま せん。教友アブー・フライラは言いました。「アッラーの預言者様(彼に平安と祝福あれ)は違法な薬の 使用を禁止されました」
      (ハーキムによる伝承)

      預言者(彼に平安と祝福あれ)は、こうもおっしゃりました。「全ての病には治療法があります。その治療法を無視する 者は無視するでしょうし、それを知ろうと望む者は知るでし ょう」
      (イブン・ヒッバーンによる伝承)
    • 死への恐怖、誰もが死を体験する事になるという 現実
      アッラーはおっしゃりました。『そこ(大地)にある全てのものは、消え行く。そしてあなたの 主の、高貴さと荘厳さを湛えた御顔だけが残る。』
      (55:26−27)

      誰も死を逃れることはできません。アッラーはおっしゃりました。『言ってやれ。「本当に、あなた方が逃げている死、それはまさ しく、あなた方と対面することになるもの。それからあなた方は (復活の日)、不可視の世界と現象界をご存知のお方(アッラ ー)へと戻され、そしてかれはあなた方に、あなた方が行ってい たことをお告げにな(り、それに対して報われ)るのだ」。』
      (62:8)

      私たちは死そのものではなく、死後に何が待っているかを考 えるべきです。死を防ごうとしたり、不老不死を求めることは 無駄です。アッラーはおっしゃりました。 『いかなる(不信仰な)共同体にも、(定められた)期限があ る。そして彼らの期限が訪れれば、(彼らはそれを)一刻たりと も遅らせたり、早めたりすることはない」。』
      (7:34)

      死を嫌がる人は、信仰が弱いか、そもそも信仰がない人なの です。最後の日を信じ、よみがえりを信じ、審判と精算を信じる 人の心は、安心しているものです。死ぬことによって、自分はよ り善い場所に出発するのだと信じている人は、社会において も前向きなものです。チャンスを奪われようと、抑圧者に虐待 されようと、全ては全能なるアッラーの前で精算される事にな る訳ですから、くよくよする必要がないのです。